Q-mang’s blog

~ ピアノ、サッカー、中国語、その他 ~

(前編)日本人補習校の先生 ~ 中国蘇州 ~

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当時自分が先生だったイメージ

 

はじめに

 

こんばんは。Q-mangです。

いやあ、毎日何かを書くのって簡単ではないですね。今日は9つ目の記事を書きますね。過去の経験として僕自身の中で忘れられない経験を書きます。

大学3回生の時に中国蘇州に留学していたのですが、そこで「日本人補習校」の先生をバイトとして経験した時のお話です。もう17年ほど前の話になりますが。笑

1.蘇州の日本人補習校

蘇州は上海から電車で1時間程度のおとなりの街で、川、水流が多く、東洋のベニスと言われています。魅力たっぷりの蘇州という街、そこで出会った人々の紹介は別の機会に書きたいと思いますが、その蘇州にも当時から日本人駐在者がおられ多くの日本人の子供も住んでいました。そのような子供達は大都市の上海や北京では日本人小学校が存在し、そこに通うケースが多いのですが、蘇州というその当時はまだ発展途上の街には日本人小学校がありませんでした。なので日本人の子供たちはインターナショナルスクールか中国の小学校、中学校に通うんですね。そこで問題になるのが日本語です。インターやローカルのスクールでは英語か中国語を使っての授業、友達との交流になるので、日本人として日本語が必要なレベルに達しないまま外国語が先にレベルアップしてしまうんです。そこで蘇州では週末(当時は土曜日でした)を返上し週1日「日本人補習校」が存在し、そこで日本語で各学年の授業を受けれるようにされていました。

2.補習校先生になるきっかけ

僕は蘇州に留学して中国語を学んでいたのですが、まあ大学生だったので髪の毛や服装はそれは好きに遊んでいました。髪はソフトドレッドをあて、当時流行っていたボロボロのデニムを腰で履き(今ではあまり見かけない)、まあ見た目はちゃらちゃらしてましたね。でも留学に来るには日本の大学でのテストや面接をパスして来てましたので、それなりに成績は良かったですし(クラスではtop orその次)、人とのコミュニケーションもはきはきしていた方だと思います。

そんなある日、授業終わりに日本人の奥様が教室の前で日本人皆に声をかけている光景を見ました。それは「週末に小学生メインで国語や算数の授業をして欲しい、バイト代も出る」というもの。その当時の僕は何でも経験してみたい、人とは違うことをしたいという考えが強く、その奥様に声をかけ一度その授業をしている現場を見学させて頂くことになりました。

3.選抜テスト

 

 

見学当日僕以外の留学生4,5名(僕以外皆女子だったと記憶)と見学することになり、先輩先生の授業風景を見ていました。バイトなのに本当の小学校の先生のように教えられており、ただただ「すごいなあ、かっこいいなあ」が正直な感想でしたね。

しばらく授業を見ていると校長先生と名乗るおじさん(日本人)が登場し、「今募集している先生は2名なので、折角来て頂きましたが、1週間後に一度皆さんに教壇に立って頂きそこで2名選抜させて頂きます」とのこと。その日は教材だけ渡され「教え方は好きに考えて見て下さい」ですって。いやあ、僕の見た目では不合格だよなあとか思いながら帰りましたね。

4.決戦の日

ここで「こういうことを考えて、内容をこうして授業をして」と憶えていて書けたらかっこいいのですが、すみません、どんな授業をしたのか憶えてないんです。ただテスト授業を終えた後一人の奥様(子供の親)から笑いながら「その髪型なんて言うの?」と声をかけられたのは憶えています。「ああ、不合格かな」と感じていたのも確かです。なぜなら僕は髪はソフトドレッドで、その学校の先生のテスト授業ですらデニムを腰で履いていたんです。今の僕では考えられない世間知らずの若造ですよ。

授業が終わり結果が報告されました。。。。合格!!

いやあ、わからないもんですね。もう一人の沖縄出身の女性と一緒に日本人補習校の先生になることとなりました。

この記事で書きたい内容まで至ってませんが、続きは明日(後編)で。

*ブログで前編、後編を分けるのはどうなのか?も分かってませんが。

 

ではまた明日

今の気持ちを中国語で

我很想念苏州啊!十全街,pulp 酒吧,东吴饭店!